弘法大師(空海)

全国に数多くの弘法大師のいわれ(伝など)があり、その内容も多岐にわたり、温泉の発見、石炭の使用法、橋をかけたり、お寺の開山、刻仏、池をつくり、
仏教の宣布、いろは歌など、その他調べれば枚挙にいとまがありません。
「弘法」という言葉は「弘法大師」からさらにはなれ、私たちに身近にあり、
現代でも「弘法筆を選ばず」や「弘法も筆のあやまり」とよく使われています。
世に大師といえば「大師は弘法に取られ」と言うように大師号を持つ人は沢山おられますが、
弘法大師(空海)を指すことが多いのです。
平安時代を人間らしく生き、仏道へ身を投じた一人の沙門(僧侶)空海を現在に生きる我々は弘法大師と呼んでいます。
真言宗だけでなく大師を信じる人は高野山奥之院御廟において今も生き続けご入定されていると堅く信じ、
また四国八十八ヶ所を巡礼する方であればお遍路様とよばれ、遍路は同行二人(いつでも一人ではなく大師と共にいる)の心で巡礼を続けられ、
大師は四国を巡礼し続けているとお遍路様は信じ、時に大師に出会うのです。
東京大学教授竹内信夫氏は、「沙門空海」(渡辺照宏・宮坂宥勝共著)の中で
「空海は真言宗の祖師というばかりではないし、その著作は真言宗諸宗派(空海の創始した「真言宗」に宗派などというものはなかった)
の独占物ではない。空海は日本文化の基本的設計者の一人であった。またその著作は、長い間、日本人の精神生活の糧であった。
彼の思想、彼の人間観、彼の世界観は、日本文化の隅々まで深く浸透している。
空海がもし生きて活動しているとすれば、それは決して高野山奥の院の廟室のなかではなくて、
日本文化という広い場所においてなのだ。だからこそ、日本文化に関心を持つものならば誰でも、
一度は、空海という人間を考え、空海の遺した著作をひもとくことが必要なのである。」
この世に生き続ける空海という人物の生を弘法大師を信じる人達以上に幅広く日本人の中に生きていることを述べられています。
このように、四国遍路・真言宗関係の人の中だけでなく幅広い方に現在まで影響を与え続けるからこそ、
あらためて大師といえば弘法大師と呼ばれているのです。
全国あらゆるところに弘法大師伝説が存在しすぎている為、
多すぎるが故に弘法大師(空海)そのものを否定されることもあります。
世界に偉人は沢山います。人間の限界を超え偉業をなした方をあらわすのに、
比喩として伝説的なものが付加されることが行われるのは致し方ないことのように思います。
伝説が事実としてありえないからといって全てを否定されるのは、元の道から逸脱しすぎているように思います。
一人の人間、沙門空海の事蹟を重視した先行の本より下記に弘法大師(空海)の年譜として、ご紹介させていただきました。
弘法大師(空海)略年譜
西暦 | 年号 | 年齢 | 弘法大師(沙門空海)の事蹟 |
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774 | 宝亀5年 | 1 | 後の弘法大師(空海)、 讃岐国多度郡屏風ヶ浦(香川県善通寺)で六月十五日にご誕生、(不空三蔵六月十五日滅、70歳) |
788 | 延暦8年 | 15 | 母方の兄弟である阿刀大足に学ぶ(最澄比叡山寺創建。) |
791 | 延暦10年 | 18 | この頃、京の大学(現在の国立大学)の明経科に入り、味酒浄成、岡田牛養らについて中国の古典を学ぶ。 延暦16年までの間に「求聞持法」を一沙門より授けられ、阿波、土佐、伊予などの山野でその法を練行する。 一説に、和泉槙尾山寺で勤操大徳について出家得度する。 |
795 | 延暦14年 | 22 | (一説に東大寺戒坦院で具足戒を受ける。) |
797 | 延暦16年 | 24 | 十二月一日、『三教指帰』成る。(儒教・道教・仏教を論じ、空海出家宣言の書とも言われている。 |
804 | 延暦23年 | 31 | 三月、遣唐大使藤原葛野麻呂に節刀を賜う。 四月七日正式に得度す、 五月入唐出発、 八月十日、福州長渓県赤岸鎮に漂着、 十月三日に福建に上陸。 大使藤原葛野麻呂に代って福州の観察使宛ての公文書を起草する。おなじく空海の入京を請う啓を書く。 無事長安に至る。 |
805 | 延暦24年 | 32 | 二月初め葛野麻呂に代って、渤海王子への書翰を草する。 二月十日、長安宣陽坊より永忠の故院、西明寺に移る。 以後、般若三蔵・牟尼室利三蔵に指事し、サンスクリット語インドの教学などを学ぶ。 真言宗第七祖、青竜寺、恵果に師事。 六月上旬に胎蔵会、 七月上旬に金剛界、 八月上旬に伝法阿闍梨位の灌頂を受ける。 この間恵果和尚に袈裟・香炉を献ずる。 12月15日恵果青竜寺東塔院において入滅(60歳) |
806 | 大同元年 | 33 | 一月十五日、「大唐神都青竜寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」を撰す。 一月某日、橘逸勢依頼を受けて、「橘学生本国の使に与ふるがための啓」を草す。 三月、長安を出発して越州に向う。 四月、越州の節度使に依頼して、内外の経書を蒐集する。 八月、明州に行く。 十月帰朝。 十月二十二日高階遠成に託して『御請来目録』を朝廷に提出。 筑紫太宰府に滞在する。 |
807 | 大同2年 | 34 | 二月十一日、筑紫の田少弍の先妣(亡き母)のための法事を行う。 筑紫国太宰府観世音寺にとどまる。一説に大和国久米寺において『大日経』を講じたともいう。 |
809 | 大同4年 | 36 | 上京、高雄山寺に居を定める。 四月十三日嵯峨天皇即位。 八月二十四日、最澄より空海へ密典十二部の借用を申し込まれる。 十月四日、嵯峨天皇に『世説』の屏風を書いて献上する(『高野大師御広伝』) |
810 | 弘仁1年 | 37 | 勅許を得て実慧、杲隣、智泉など数名の弟子に密法の伝授する。 十一月一日より、高雄山寺、国家のための修法を行う。 この年、故中努卿親王のために檀像を造刻し、その願文を書く。 一説、東大寺別当(『東大寺別当次第』) |
811 | 弘仁2年 | 38 | 六月二十七日、請来した劉希夷集にその写本を添えて献納する。その他、雑書迹、劉廷芝の書など。 八月、重ねて請来品の雑書迹を献納する。 十月、乙訓寺別当。十一月十三日、玄賓僧都に贈る勅書の代筆をする。 この頃、重ねて劉廷芝集を献納する。 |
812 | 弘仁3年 | 39 | 四月、最澄に書翰を送り悉曇の疑義を問う。 七月二十九日、急就章、王昌齢集以下の雑文を献納する。 九月、最澄、奈良からの帰途、乙訓寺に空海を訪ねる。 十月下旬、高雄山寺に移る。 十一月某日乙訓寺の柑子を献上する。 十一月十五日、高雄山寺灌頂開坦。最澄、和気真綱・同仲世ら受者となる。 十一月十九日、最澄、藤原冬嗣に書状を送る。 十二月十四日、高雄山寺で再び開坦。 十二月某日、高雄山寺に三綱を沢任する。 この頃、春宮(後の淳和天皇)に唐筆を献上する。 |
813 | 弘仁4年 | 40 | 一月三日永忠少僧都辞任のために代筆。 一月四日永忠の少僧都辞任を許さざる勅書を代筆する。 二月より三月六日まで、最澄の命により、弟子泰範・円澄・光定ら、空海より密法を受ける。 五月、遺誡を書き、真言密教の本旨を示す。 十月二五日、藤原葛麻呂のために金剛般若経書写供養を行う。 十一月二十三日、最澄の理趣釈経の借覧の申し入れに対して断りの手紙を出す。 この年「中寿感興詩」を作る。 |
814 | 弘仁5年 | 41 | 三月、百屯の綿と七言詩を嵯峨天皇より下賜されたのに対する奉謝の詩を作り、献上する。 七月八日、梵字帖ならびに雑文を献納する。同二十八日、元興寺の僧中mが罪を赦されんことを上表する。 八月三十日、下野の伊博士の依頼を受けて、「沙門勝道山水を歴て玄珠をみがく碑」の文を撰す。 この年、乙訓寺の修繕を依頼 |
815 | 弘仁6年 | 42 | 一月十日頃、小野岑守が陸奥守に任ぜられたので、送別の詩文を賜る。 一月十九日、渤海の王孝廉に書状を送る。四月一日、密典を書写し流布せしめるため、 「諸の有縁の衆を勧め奉って秘密蔵の法を写奉るべき文」なる勧進文を草す。 四月五日、弟子の康守を東国筑波の徳一菩薩のもとにつかわす。 三月から四月にかけて弟子を甲斐の藤原真川、東国の広智、万徳などに巡遣し密典の書写流布を依頼。 十月十五日笠仲守のために願文を草す。 |
816 | 弘仁7年 | 43 | 五月九日より末日までの間に、空海のもとに走った弟子の泰範を責める最澄に宛てた返事を出す (泰範の代筆ともみられる)。 六月十九日、高野山開創の上表文を提出する。七月八日、勅許。八月十五日、勅賜の屏風に揮毫して献納する。 十月十四日、嵯峨天皇の御厄を祈願する。十二月二十七日、藤原真川が、 失脚中の恩師浄村浄豊を挙用されるよう朝廷に乞わんがために、空海、嘱されて、 「藤の真川が浄豊を挙するがための啓」を草す |
818 | 弘仁9年 | 45 | 三月十九日、来朝した新羅の青丘上人に詩を贈る。十一月十六日、空海、勅許後はじめて高野山に登る。 |
819 | 弘仁10年 | 46 | 一月、金光明四天王護国之寺(東大寺)の額を揮毫する。 高弟の実慧・泰範ら、高野山開創に着手する。五月三日、「高野建立の初の結界の時の啓白文」(『性霊集』)。 「高野に坦上を建立して結界する啓白文」(同)。七月、勅徴により中務省に住す。 この年、高野山の鐘を造立するための「知識文」を草す。また『広付法伝』を著す。 |
820 | 弘仁11年 | 47 | この年(十月か)、奈良のさる高徳が華厳経一部八十巻を書写供養し、講読するにあたり、願文を草す。 十一月、伝燈大法師位内供奉十禅師となる。 |
821 | 弘仁12年 | 48 | 九月六日、入唐請来した両界曼荼羅を再鋪する。また、この日『略付法伝』を書く。 九月七日、藤原葛野麻呂の三回忌にあたり、願文を書く。 五月二十七日讃岐満濃池の修築別当に任ぜられ、九月頃、四国満濃池を完成する。 十月八日、葛木参軍の亡父の忌日に当り、願文を書く。 十一月、弟子らを藤原冬嗣らに付嘱する。この年『文鏡秘府論』ならびに『文筆眼心抄』撰述。 この年、比叡山中道院で金・胎両部曼荼羅を造立 |
823 | 弘仁14年 | 50 | 一月、嵯峨帝東寺を空海に給与す。一月二十日、酒人内親王のために代って遺言を草す。 四月二十四日、「天皇皇帝の即位を賀し奉る表」を献ぐ。十月十日、『三学録』奏進。 東寺に五十口の常住僧を置く。十月十三日、皇后院修法。十二月二日、東寺修法。十二月二十三日清涼殿修法 |
824 | 天長1年 | 51 | 二月、「秋の日、神泉苑を観る」「雨を喜ぶ詩」など作詞。 三月二日東大寺にての三宝供養の願文を書く。三月二十六日、少僧都。四月六日少僧都を辞す。 六月十六日造東寺別当。九月二十七日、高雄山寺、定額寺に列せられる。 十月二十二日、笠仲守の先妣のための大曼荼羅建立の建立を草 |
825 | 天長2年 | 52 | 四月八日、東寺安居の講経勅許。 四月二十日、東寺講堂建立の勅許。五月十四日、高野山での高弟の智泉入滅、三十七歳。 七月十九日、東宮講師。同日、淳和天皇のため、鎮護国家万民豊楽のために仁王会を修す。 九月二十五日、「大和の州(くに)益田の池の碑の銘」を撰す |
826 | 天長3年 | 53 | 三月十日、桓武先帝菩提のため、金字法華経を講ずるに当り、達噺文を草す。 十月八日、弟子真体の亡妹七七日忌。十一月二十四日、東寺の五重塔建立に当り、用材を運搬する勧進表を書 |
827 | 天長4年 | 54 | 三月一日、「十喩を詠ずる詩」。 五月一日、淳和天皇、大極殿に百僧を請じて雨請いを行う。 空海、願文を草す。五月二十二日、笠仲守の亡妻追福に当り、願文を草す。 五月二十六日、内裏で祈雨。五月二十八日大僧都。 七月二十四日、良岑安世、空海に依頼して冬嗣の一周忌を営む。九月某日、橘寺(たちばなでら)で法華講讃。 淳和天皇、故中務卿親王のため、田および道場支具を橘寺に施入し、その願文を草す |
828 | 天長5年 | 55 | 三月十一日摂津大輪田船瀬所別当。 四月十三日、石淵の勤操大徳の菩提のために、梵網経を講釈する。 四月十三日、勤操の彫像の讃詩と序を書く。十二月十五日、京左九条の藤原三守の邸宅に綜藝種智院を開設する。 この年、伴国道が按察使として陸奥国へ行くに当り、詩文を贈って送別する |
829 | 天長6年 | 56 | 二月、大般若経を大極殿で誦し、祈雨。 七月十八日、三島真人助成の亡息女追善に当り、法華経を講読供養す。 九月十一日、元興寺護命の長寿を祝って詩を嘱されて贈る。 九月二十三日、同じく護命の八〇を賀して詩文を贈る。 十一月五日、大安寺別当。この年和気氏夫人が法華寺に千灯料を奉入するに際し、願文を草す |
830 | 天長7年 | 57 | 天長六本宗書のうち主著『秘密曼荼羅十住心論』を撰述す |
831 | 天長8年 | 58 | 六月十四日、疾にかかり、大僧都を辞するも許されず。 九月二十五日、延暦寺の円澄ら受法を請う |
832 | 天長9年 | 59 | 一月十四日、紫宸殿論議。 八月二十二日、高野山上での万灯会を行う。(一説、この年、弘福寺が空海に与えられる。) |
833 | 承和1年 | 61 | 空海、中務省で後七日御修法を修す。 二月十一日鑑真和上の高弟如宝(じょほう)の八〇歳に際して、大般若経など百二十七巻を書写し、 講演供養したとき願文を草す。 八月二十二日、高野山金剛峯寺に、仏塔二基、両界曼荼羅を造営するに当り、「知識文」を草す。 十二月某日、宮中真言院で毎年正月、真言の御修法を行うことを奏上し、勅許あり。 十二月二十四日、東寺三綱の勅許 |
834 | 承和2年 | 62 | 一月六日、東寺僧供料の上表。 一月八日より十四日まで真言院で後七日御修法を修す。 一月二十二日、真言宗年分度者三人を上奏し、二十三日、勅許。 二月三十日、高野山金剛峯寺、定額寺となる。 三月二十一日、高野山にて入定。 三月二十五日、淳和上皇弔書。五月十日、埋葬。 八月二十日、毎年、金剛峯寺に真言宗年分度者三人を置く。 十月七日、嵯峨上皇、御製詩を下賜する |
845 | 承和12年 | この年、綜藝種智院廃校。十一月十三日、実慧入滅(寛信撰『東寺長者次第』) | |
857 | 天安元年 | 十月二十七日、空海に大僧正を追贈する | |
921 | 延喜21年 | 十月二十七日、空海に弘法大師の諡号が与えられる | |
1973 | 昭和48年 | 弘法大師(空海)ご誕生千二百年記念大法会 |
参考文献、筑摩書房、「沙門空海」、著者渡辺照宏・宮坂宥勝
参考文献、集英社、「高僧伝空海無限を生きる」、著者松長有慶
参考文献、朝日選書461、「空海」、著者上山春平