
縁 絆 結 紡 繋
どんな関係も一本の糸から始まります
「高知県近代化産業遺産」と「登録有形文化財」に認定されています。
当館は平成19年に「高知県近代化産業遺産」、平成12年10月18日に「登録有型文化財」に認定されました。
高知県では近代化遺産の調査を県内にある江戸時代末期から第二次世界大戦終了時までに建設された、産業遺産や土木遺産の構造物を対象としています。「高知県近代化遺産」の特徴は、第一次産業の林業に関する土木遺産、漁業に関する土木遺産、鉱業に関する産業遺産、製糸業に関する建造物などがあげられています。
文化財登録制度は1996年に建造物を歴史的な資産として活かし、より緩やかな規制のもとで幅広く保護の網をかける必要性があることから発足されました。この文化財登録制度に登録された建造物を「登録有型文化財」と称します。

絹の歴史
紀元前25世紀頃、中国の王妃・西陵が繭を湯の中に落とし、それを拾い上げようとした箸に糸が巻き付いてきたのが製糸の始まりと言われています。
古代中国の特産品であった生糸や絹織物は中央アジアを横断するシルクロードを通じて西方諸国に広まりました。
当時の蚕(かいこ)を育て、繭から糸にする技術は中国では門外不出とされ、絹織物は同じ重さの金と交換されるほど貴重なものでした。殷の時代(紀元前11世紀頃)には黄河流域で養蚕が行われ、絹織物も作られていました。
日本には弥生時代中期に養蚕が伝わり、1〜2世紀頃には織物技術が伝来したと言われています。
江戸時代には、西陣や桐生などの産地も生まれ、1872年(明治5年)群馬県富岡市に旧官営富岡製糸工場が創立され著しい発展を遂げました。大正時代に高知県には100社を超える製糸工場があったと言われています。
1930年代の養蚕全盛期には日本の生糸輸出量は史上最高になりました。
藤村製絲の沿革
1872年富岡製糸場が設立されて以降、当時の主要輸出品であった生糸生産のために、日本各地に製糸産業が広まりました。
創業者藤村米太郎は捕鯨で得た利益を元に1917年に藤村製絲株式会社を設立し製糸業に参入しました。


西蔵
記念館の入り口横にあり、来場者の目印となる西蔵。桁行約16m、梁間約10mの規模の東西棟、切妻造、浅瓦葺、平入2階建土蔵で、妻面には水切り瓦を5段付いています。湿度・気温を一定に保ち、製造した生糸を保存していました。藤村製絲創業前は酒蔵として使用されていました。

